「ショパン弾くエース ピアノで鍛えた指先、変化球に鋭さ」(朝日新聞デジタルより)
新聞記事で気になるものがあったので取り上げてみます。ピアノを続けてきた高校球児についてです。(写真も記事から拝借しています)
以下、記事より抜粋。
「ショパンを弾く指のタッチで、切れのあるスライダーを投げる。青森南のエース玉熊佑成(ゆうせい)投手(3年)はピアノ歴15年。小学2年で全国コンクールに出場した腕前の持ち主だ。
野球部の練習に励みながら年1回、ピアノ教室の発表会でクラシック曲を披露している。「ピアノを野球に生かしています。指先がよく動くと、ボールにもうまく回転がかけられるのです」
3月に奏でたのは、ショパンの「幻想即興曲」。疾走感あふれる演奏は、勢いのある投球に通じる。腕の力は抜きながら、振り下ろす重さを指の先に伝える。ピアノなら深みのある音が響き、投球ならばボールの伸びと切れが増す。」
ピアノの演奏を野球になぞらえた渡部記者の文章には多少無理やりこじつけ感もあるけれど、青森南の玉熊投手の指先への意識の高さが伝わってきます。
そして私の心に響いたのは、
「この人はどうやってピアノと野球を両立させてきたのだろう?」ということ。
30年以上もピアノを教え続けていると、生徒さんと出会った時に「あ!耳がいいな」「いいもの持ってる!」と直感するときがあります。
それと同時にその才能を大切に育てなければ、と身の引き締まる思いがします。
ただ難しいのが、才能に恵まれた子どもがそのまま伸びるとは限らないということ。
1番残念なのは本人に「その気」がない。
どんなにうまく弾けても、他の人が時間をかけてやっと弾く曲をすぐにやってのけても、自分にとっては普通のことなので感動がない。
もちろんこちらは本気で褒め称えるのだが、このタイプの生徒さんにはなかなか響かない。
他にも経済的な理由だったり、教室までのアクセスや家族構成(下のお子さんが小さい)など、通い続けられない理由はさまざま。
中でも1番残念に思うのは、中学受験や他の習い事が忙しくピアノが続けられないこと。
その人にとってのピアノの優先順位が低いと言われてしまえばそれまでなのですが、そこをどう両立させて続けていくのか、こちらはありとあらゆる提案をします。
真面目で誠実な生徒さんほど中途半端に継続することに抵抗がお有りのようで、中断あるいは辞めてしまわれます。
練習が足りない、思うようにできなくても、レッスンに来てさえくれれば良い方向に導いて差し上げることはできるのに、「先生に失礼」と遠慮されてしまうのでしょうか…。
大切なのは日々の練習の積み重ねもですが、ひとつのことを仕上げていく苦労を知り努力をすること、そのためには自分の心の弱さと対峙しなければならないこと…さまざまな経験ができる絶好の機会なのに本当にもったいない。
練習は誰だって嫌い、面倒くさい、それを「うちの子は練習が嫌いなので」とあっさりレッスンを打ち切ってしまうことがどんなに惜しいことなのか、親御さんもぜひ考えてみてほしい。
あなたがその歳の頃、自分から練習、勉強をしましたか?
計画的に決められた通りに生活していましたか?
怒られたり失敗したりしながら学んで大人になったのではないかしら?
発表会に向けて曲を仕上げていく様は、どの生徒さんも大変魅力的です。年齢や取り組む曲の難易度にはまったく関係なく、どなたも必ず成長の証が見られ素晴らしい!
ひとりで舞台に上がる。
先生にも親御さんにも頼れない、たったひとり。
あの緊張感を経験したら、大抵のことは乗り越えられるのです。
「大学入試や就職試験でここ1番!という時に発表会の出番待ちを思い出した」という元生徒さんがいました。
逃げ出したいくらいの緊張感、それを乗り越えた時の達成感、失敗した時の悔しさ、すべてが「今の私」を作ってくれたといいます。
新聞記事に戻ります。
マウンドに立つたび、感じることがある。「仲間の声が聞こえてくると、落ち着くんです。1人だけのピアノの発表会のほうが緊張します」と笑顔を見せた。
さあ、夏の舞台へ。
「やってやるんだ、という強い気持ちが出てきます。先発して完投して、勝つ。甲子園をめざします」
子供の成長の中で、経験の積み重ね、これに勝る財産はないと思っています。
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